☆りんふろらいぶらりぃ☆

 ■もう一つの世界//タマ様

 

1.
――――――――――――――――――――――――



のどかに見える昼下がり。
その空気を切り裂くように、金属音と気合がこだまする。
ここはキアランの錬兵場。まだ若い兵士たちの息遣いと汗が、独特の緊張感を生み出している。

「むぅ」

と、思わずうなり声を上げたのは禿頭の大柄な男。典型的な体育会系というべき風貌で視線を注ぐ。
人は良さそうで、押しが強そうな、そういう男。キアランの名物騎士、ワレスである。
その彼の左腕が、ピクリ、と微かに動く。その瞬間かあるいはその寸前か、少女の体が翻り剣戟をいなす。
それを見て、彼の口の端に笑みが浮かぶ。満足げで楽しげなさまを、注意深く彼の顔を見れば読み取れたであろう。体のあちこちが、わずかではあるが、無意識にリズムを取っているかのように動いている。

少女の対手の剣が二手、三手と、むなしく宙を舞う。
天馬騎士団の象徴と言うべき、しなやかで迅い動き。いかつい騎士との対比でそれがさらに強調されるかのようだ。彼女の出身にちなんで言えば…まるで、雪の精が剣舞を見せているかのような…。

だが、ワレスはそれだけではないと知っている。
共に戦った短い期間のうちに、長年の新兵訓練の経験から培われた眼力がその少女〜フロリーナ〜を見逃させなかった。
存外の力強さと見た目以上のタフさ。それをも内に秘めている天馬騎士。
ほぼキアランの兵ばかりを鍛える彼にとってみれば、目新しく面白い存在であった。
それゆえに戦いの中においても、常に観察を続けていたのだ。
もしかしたならば、戦が終わった後に新生キアラン傭兵部隊の要となりうる存在であるかもしれぬと。だが…。

今度は剣が、二合三合と打ち合わされる。焦れてきた騎士は、力の剣技で押し込もうとしていた。ごう、と突いた剣の進路にフロリーナの剣が押し出される。剣の横腹で受けると、その刹那剣を回転させる。騎士の剣は進路をそらされ、切っ先がフロリーナの左の空間を裂く。
まただ。この、柔の剣にてこずってきた騎士は一瞬歯噛みをする。後一歩、いや半歩がずらされる、と。うまく受け流せたことに油断したか、フロリーナの体勢の戻りが遅かった。フロリーナの防御が緩み、右肩に突然隙が出来た。まるで空間に穴が開いたかのように彼には感じられた。

相変わらずワレスの体は楽しそうに揺れている。右、左、右、後。
フロリーナの体勢が崩れたかに見えると、右腕がピクリと少し大きく動く。今だ。
ワレスは見抜いていた、フロリーナの罠。
だが、今度は少女の体は翻らなかった。チャンスに踏み込まない。
いや、踏み込めない。
今までの戦いでは、生まれ持った資質の差で運良く補ってきた弱点であったが…。
今後もそれでずっと上手くいくはずなどは、無い。

「きゃーっ!」

その数秒後に、彼女はついに一本を取られた。





2.

――――――――――――――――――――――――


「リンディス様ー。一体、な、なにを…。」

フロリーナは混乱していた。
足は遅いほうではないのだが、わけも分からず引っ張られては足がもつれがちになる。何とか付いていってはいるのだが…。

「いいから黙って!」

すれ違う使用人が、驚いた顔でこちらを見る。
その、時に見とれてしまうこともあった凛々しい顔に険しく眉を寄せフロリーナの手を引いている。城の廊下を疾走しているのは言うまでもなくリン。
進行方向を確認しぶつからないように出来る限りの速さで走る。今はフロリーナを気にする余裕はないようだ。
フロリーナとて、リンと手を繋ぐ(?)など久しぶりなのだが、これではそのことを思い起こす余裕もない。
廊下を一回、二回と曲がっていくうち、自由に城内を動き回れないフロリーナでは見慣れない区画に入ってくる。
フロリーナが珍しげに廊下を見回したりなどする間にリンは速度を緩め、殺風景な扉の前で立ち止まった。

ギィ…

扉が開かれると埃くさい空気が鼻をくすぐる。
廊下との明るさの違いで中はまだ見えないのだが、どうやら物置の類らしいとは見当がついた。
フロリーナがリンの胸中を図りかね、呆けたように立っていると、リンが手をつかみ引きずり込む。
フロリーナの、あ、とも、や、ともつかぬ声を残し扉は閉まった。







3.
――――――――――――――――――――――――


それは10日ほど前のことだったろうか。
夕方、敷地内を散策しているリンの目に入ったもの。
ぺたん、と地べたに座り込む見慣れた少女。
ほわほわとしているはずの髪は、汗と泥でべったりと。ぽかんと開けた口から、まるで魂の抜け出たごとき。
あわてて連れ帰り、人心地ついたころに話を聞いても、なんでもないの一点張り。
そうも引き止めるわけにも行かず、宿舎に帰るのを見送るしかなかった。
その次の日も
その次の日も
座っていたり、倒れこんだりしていても、フロリーナは何も言ってくれなかった。
まだ土地に慣れていないから、少し張り切りすぎたから。
疲れ切った体と顔で、そういうことだけ言って帰っていく。
震える腕でお茶を飲み、足取りもややおぼつかないまま。
なぜフロリーナだけ?それには答えてはくれない。

リンがその理由を知ったのはセインからだった
フロリーナちゃんも大変ですねえ、あの人に目ぇ付けられちゃうなんて。と彼は言った。
恐らくはその状態を見かね、雑談めかして伝えたものであったろう。
ワレスに特訓を受けているのだそうだ。
様子を見に行ったリンは驚いた。それは本当だったのだ。
無茶を止めさせたいがそうもいかない。
訓練はワレスの管轄であって、当主であろうと好き勝手に口を出すことは規律の面で好ましいこととはいえない。
それに、フロリーナがリンの友人であることは周知の事実。
キアラン来たばかりの自分が「贔屓」などしては、それこそ影でどのような評判になるか分かったものではない。
しかし、ついに居ても立ってもいられなくなったリンは、行動を起こした。
偶然を装い訓練前のフロリーナに出会うと、嘘の用事で呼び出したのである。
そしてついて来るように言うと、頃合を計って手を引っつかみ駆け出したのだ。
とりあえず急の体調不良と偽り隠しておいて、その後で話をすれば…。
そう考えていた。





4.

――――――――――――――――――――――――


扉が閉まると、一瞬、部屋の中が暗闇に包まれたかのように錯覚した。
目が慣れてくると、明り取りの窓から差し込む光に照らされ、リンの輪郭が見えてきた。その後ろには覆いを掛けられた調度品などが見える。
埃が分厚く積もり…ということもなく、時々荷物を持ち出したり手入れなどもされているのだろう。

「ほら、座って座って。」

そう言いながら、リンは椅子から覆いを外して、椅子の表を手ではたいいた。
リンの周りを埃が巻くように舞い上がり、それが光に照らされ渦を巻く。
その公女らしからぬ光景で、束の間、昔のリンのように思えてしまう。
仕様がないので、出された椅子に座ると、それを待ちかねたようにリンも向かい合わせに座った。

「リンディス…さま?あ…あの…御用は一体…。」

リンはじっと見つめてきた。

「ごめんねフロリーナ、用事って本当はうそなの。聞きたい事があるんだけど、いい?」

「はい。リンディスさま。」

「ワレスさんの特訓を受けているみたいだけど、大丈夫なの?あんなになるまでして…。」

「なんとか…大丈夫みたいです…。」

フロリーナは、少しうつむいて答える。

「大丈夫じゃないでしょ、もう。あんなことやらされて。あの人を基準にしたメニューに無理があるんだから」

「でも…」

「フロリーナじゃ、ワレスさんには言えないでしょ?私からあんまり無理はしないようにって言ってあげるから。」

「違うの…」

言った後、少し唇をかみ締めるようにしたが、リンには見えない。

「あ、そうよね。私が直接ではフロリーナも困るもんね。」

「私が…。私がしたいって…。」

その瞬間、リンは見事固まっていた。予想もしなかった言葉に、目をまん丸に見開いて。

「ちょっ…とまって。それって…。」

「私からお願いしたの。もっと、リンディスさまのために強くなりたいって。」
 心配してくれる気持ちは分かってる。とてもうれしいよ。」

すっ、と立ち上がるとリンの方へ近寄っていく。
前に立つと、微笑を浮かべて相手の顔を見つめ、手を伸ばす。
削げてきた頬を不安げに見る、リンの頬を、華奢に見える手が包み込む。

「私が選んだの。今のままだって、リンディス様の傍に仕えることが出来ます。けれど…。」

けれど、それでは足りない。もう知ってしまっているから。
リンの強さも、弱さも。
リンの顔を思い浮かべるとき、それは草原を吹き抜ける風と一緒に思い起こされる。リンの心を写すような風、天馬に乗って一緒に飛び立ちたくなるような風。でも、今のリンにそれは吹いていない。ならば自分が風を起こせばいい。
もっとリンの近くによって空へと飛ぶのだ。体温を感じあうくらいに。
でも、口に出しては叶わないような気がして、フロリーナには言えなかった。

「けど…?フロリ…」

リンが口を開きかけた刹那、柔らかい感触を額に感じ思わず息を呑む。
フロリーナの優しい口付け。
ずるい。こんなことされたら、何も言えなくなるじゃない。
フロリーナの手に自分の掌を重ねると、存在を確かめるかのように握ろうとする。

「一緒に、頑張りましょうね。」

そっと、引き抜かれる手。

「それじゃあ、訓練に遅れますから。」

そう言葉を残し、フロリーナは出て行った。
あまりに自然な動きに、リンは後を追う足が出なかった。
その振り向きざまの表情も、リンには見ることは出来ない。もし見ることが出来たなら…。
そして、静かに扉が閉められた。

とすっ、と。力なく腰を下ろす。すぐ後を追ってそれを見られるのも良くないだろうと、追いかけたい気持ちを抑える。

…心細かった。
住み慣れぬ土地、住み慣れぬ風土。分かっていたことなのに。
いや、そんな奇麗事だけではない。
フロリーナは自分だけのものだった。いつも後ろに隠れて、助けてあげて。無意識のうちに、自分だけが知っているべきだと思えていた。
身分の壁の向こうに、自分の知らないフロリーナが積もっていく。以前は考えもしなかった嫉妬、羨望。
廊下の向こうからの物音のみが、低く聞こえてくる。
使われぬ家具に、積もった埃に、よどんだ空気。その中に城の喧騒から離れた一人きりの自分。…無意識に片膝を抱え込む。
ここに呼ばなければ良かった。この部屋は余計なことを考えさせる。

「フロリーナ…」

親友の名をつぶやく。
彼女が望むものを手に入れるには、まだ、時間が必要だった。
新しく出来た壁を貫くものが、生まれるまで。






5.
――――――――――――――――――――――――



カチャカチャ
ガチャ!ガシャ!

鎧を着けた一組の男女が走ってくる。

カチャカチャカチャ
ガチャ!ガシャ!ガシャ!

きっ!と前を見据える大男と、やや視線がふらつく少女と。
みるからに重装である騎士の方が、彼と比べれば随分と華奢な少女を引っ張っている。
以前にここを通った時から、ちょうど、走って領地を一周ほどする時間が経ったか。

カチャカチャカチャカチャ
ガチャ!ガシャ!ガチャ!ガシャ!

「よーし!フロリーナ、後半周、ここから飛ばすぞ!」

と、言うが早いか、呆れた事に本当に速度を上げてしまった。
いやはやこれは。本当に一周して来たようである。

「は、ふぁ、はーい!」

離された間隔をそれ以上広げぬよう、必死に喰らい付く少女が一人。
いかにも青春の一ページのようだが…。


さてさて、フロリーナがワレスに鍛えられるようになってまた幾日か。
午前中は天馬騎士としての訓練。
栄養たっぷりの昼食を取って休養すると、午後からはワレスの特別訓練。
何を思ったか、全てのメニューをワレスも共にこなしてしまう。
ランニング、重りの挙上、重い木剣での打ち込みなど、体を鍛え上げることを根底に置いたメニューのようだ。

「がは、はぁ、ぜぁ、はぁ。」

ゴール地点の林にたどり着くと、フロリーナは行きも絶え絶え。
なんとか立っている様子だ。
ワレスはというと…さすがにきついようではあるが…。

「よし!呼吸を整えろ!それが終わったら、その槍を持ってわしの所まで来い。」

返事を待つでもなく、そのまま林の中へと入っていく。
本当に、一旦引退した騎士とは思えない。

ドサッ、と、フロリーナは木にもたれかかった。


男性が苦手なフロリーナだが、ワレスとは割りと上手くやっているようであった。
と、いうよりも。あの強引さと独特のノリに、わけも分からず引っ張りまわされていると言った方が正しいか。
生来の気弱さから一本取られたあの日。
ワレスはこう言った。おぬしには、キアラン魂が必要なようだ。
その後何を言われたのかは、よくは覚えていない。何時の間にやら、ワレスの指導が決まっていたのだ。
迫られたフロリーナの様子が如何様なものであったか。それは、まあ、想像出来ようというもの。

やがて呼吸も整い、体を持ち上げると、音のする方へと歩き出した。
ガキーンガキーンと、何かを打つような金属音と、気合。
知らない人間ならば、間違っても近づかないであろうが。
林の中でやや開けた場所、そこにワレスはいた。

…フロリーナは、ワレスを信ずるようになっていた。
特訓が始まる前、ワレスは言った。
まずは痩せていく、と。厳しい鍛錬に体は痩せていく。
が、ここが我慢のしどころなのだ。やがて体重の落ちは止まり、そこから筋肉が付くのが分かる、と。
わしの鍛錬と食餌法を行えば、間違いなくこのような肉体美をとか何とか。
確かに現在、フロリーナの体重の落ちは止まっていた。そして、以前より鍛錬をこなせる自分に気づいてもいる。それには意外にも論理的に組み立てられた、ワレス流の身体操法の効果も大きかった。
周りからの見た目とは違い、確実な手ごたえがあったのだ。
そして信じる本当の理由もあった。

「ようやく来たな。よし、好きな木を選ぶのだ。
 己の技を思い切りぶつけてみろ。打ち込み三千本!」

はっきり言えば、無茶である。ワレスにもそれは分かっているが、期待がそれを上回る。秀でた戦士というものは、常人以上のものに挑み乗り越えられる者にこそ、資格があるのだ。無論、精神力だけでどうにかなるものではない。
フロリーナの表情を見ると、当然だがためらいの色が浮かぶ。
だが、彼女の意思はすぐにそれを踏み越る。

「…はい…三千本…いきます…!」

木を前に準備を整える。
呼吸を、意識を。頭の天辺から足の裏へと力を通し、大地を踏みしめる。
リンのことを、意識の奥底に想う。彼女のために、耐えられる、戦える。
が、それは今表に出すことではない。内なる圧力としての支えなのだ。頭でも胸でもなく、骨の髄へと押し込める。
自分自身で分かっていた。
これから始まる事が味わえる限りの苦しみに近いことも、しかし途中で投げ出すことが無いことも。
『何で耐えられるの…?』
答えを知っている自分に問う。と、覚悟が決まる。
そう、強くなるには覚悟が必要なのだ。

「えいっ!」

予備動作もみせず、すべるように沈み込むと木へと突進する。
体は肉も骨も、装備すらも一体化した水のようだと感じる。
振り出された槍から衝撃が伝わる。
すかさず動く。
二本、三本、四本、五本。
一本ごとに邪念が消えていく。
素早く!しなやかに!強く!
一本たりとも手を抜いたりはしない。
心の横に本数がカウントされる。
研ぎ澄まされる。
そして溶けてゆく。
光、音、匂い、熱、呼吸、痛み。
解ける。
普段は感じられない肉体の感覚があらわになる。
感覚を感じる、まさにそこに、触れそうなほどに感覚が存在している。
溶けてゆく。
全てが。
そう。



はっと我に返ると、木の葉が見えた。
フロリーナの目に映ったのは、前へ向かって伸びる木々。
枝と葉、日が傾いてきた空。
打ち込みが終わった記憶は無かった。
どうやら、失神していたらしい…。

「ぬはははははは!よう頑張ったな!」

はっと起き上がると声の方を見る。流石にまだ頭がふらつくのだが。
どっかと座り込んだワレスがいた。
休憩のために軍装は解いている。

「惜しい惜しい、はっはっはっ。終わらなかったが、まあいいだろう。ほれ、お前の分だ。」

と、皮袋を投げてよこす。
受け取った時の重い手ごたえと水音で、中身が知れた。

「…あの時の言葉、やはり嘘などではないようだな。」

一瞬ぷくっ、とフロリーナ頬が膨れる。
意外な言葉をかけられて、咽かけたようだ。

「ゴクン…あの…時です…か?」

「お前に聞いただろう?」


リンディス様によれば、おぬしは親友だそうだが…おぬしもそう思っておるのだな?
ワレスが訓練を始める前に、最初に聞いたことだった。
フロリーナの返事は…
『・・・コクン』
と、何とか頷いただけ。
嘘を言う瞳ではないな、とワレスはつぶやきそれ以上何も聞くことはなかった。
リンがフロリーナへ親愛の情を露にする事を、快く思わぬ者もいたのだが、ワレスはそのような態度をすることは一度も無かった。
ワレスはフロリーナの友情を認めている、そう思えた。
フロリーナが、ワレスを信用できる人間と思えた理由の一つがこれであった。


「わしにも、幾人かの『友』がいた。」

「え……」

訓練以外の、そのようなことを話かけられたのはそれが初めてに近かった。
それまではほとんど必要なこと、叱咤、その類。
友などという言葉が、今、出るなどとは全く予想外の事。

「…共に戦った者。共に使えた者。切磋琢磨した者。そして…わしの師といえた者…。
 今生きておる者もおれば、当然死んだ者もおる。去った者も。」

ドン!とワレスが強く胸を叩く。

「だが、今も全てはここにあるのだ。彼らと過ごした時、彼らと交わした言葉全てが…
 彼らもわしを練り上げたのだ。今ここにある、このわしを…な。
 わしは感謝しておるし、敬意を払っておる。彼らがいたればこそ、なのだから。」

「・・・・・・」

「イリア傭兵の掟の厳しさは知っておる。決して雇い主は裏切らぬと。
 だからそういう聞き方はせぬ。
 フロリーナよ、リンディス様のために…お前自身を懸けられるか?」

言葉に詰まった。
すぐには出てこなかった。
ワレスは、友としての答えを聞いている。
以前とは違う環境、身分の差、新しい生活。
リンが、リンディスさまに変わって。
リンも、自分も…ぐるぐる、ぐるぐる。頭の中が混乱気味に回っていく。
知らず、目に涙の気配が感じられて。

「…はい…。ワレ…ス…さま…。」

そう、言うのがやっとだった。

「そうか、ふははははは。」


帰り道。
二人はそれまで話したことが無いことを、いくつか話した。
…きちんとした会話が成立したかについては、若干怪しいものではあったが。
ワレスという人間は、一見した以外の部分もあるのか、とフロリーナは思った。
それは自分の引っ込み思案の性格から、知らない部分が多いものかとそのときは思ったのだが。
まともに会話したのは今日が初めてといっていいくらいなのに。
ワレス相手にはそれなりに自然に話せる自分にフロリーナは気が付いていた。

そして幾日かの後、ワレスはキアランを旅立つこととなった。
財産の一部も処分し、少々必要以上の金をも持って。
誰もその決意を知ることも無く。

フロリーナがその真実を知ることとなるのは、まだ、しばらく後の事である。







6.

――――――――――――――――――――――――



さて、全ては上手くいった。と、言って良かろう。
この霧以外は、だが。

誰も気が付いてはいまい。
フロリーナを鍛えながら、同時に自らをも鍛え直していたこと。
妙に思ったものもいただろうが、旅に出たことで納得したはずだ。
それに備えて過剰に鍛え直す。ワレスならやりかねない。
確かに、そういう人間なのだ。
財産を処分してまで、持ち出した旅費に気が付いたものもいただろう。
勢い任せのワレスの旅なら、そういうことも有り得るだろう。
確かに、そういう人間なのだ。

だが、それだけでは騎士は務まらぬ。自らの恣に生きては、正しい剣は振るえぬのだ。
常に、考えなければならぬ。
ハサルとマデリン様を逃がすと決断した、あの時のように。

ううむ、しかし一体ここはどこなのだ!
…あの木・・・あの草は…。
ぬぉ、もういい加減見飽きたぞ!

むむ…
また、ここか!!
ええいっ! これで75回目だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、迷っていたのも先ほどまで。道が見つかったわけではない。
正体不明の相手が複数。展開の様子から考えて、軍隊などではない。
盗賊団かその類。
そのはずだが、予想以上に統制が取れておる。
遠くから聞こえる戦闘の音。何者かと交戦中。今分かるのはそれだけだ。
とても有利な状況とはいえぬが…。

「ふん。このワレスを襲ったが運の尽きよ!」

様子見か、まずは二人とは舐められたものだ。
左側方より敵が襲ってくる。得物は剣、この鎧に通用するとも思えんが。
だが右より斧を持ったもう一人、目線がちらちら剣士のほうを向いているのだ。
タイミングをずらしての二人での連携であろう。所詮は小物の使う術。
歩法を使い、見た目以上の速度で左を向く。
振り上げられる剣。だがわざと隙が大きい、誘いだ。速さで撹乱するつもりだろうが…未熟者が。
軌道が見える。剣の動き、重心の流れ、視線。
墳。
重心の移動。脚の回旋。短いストロークで強き槍を横薙ぎに打ち込む、重騎士の歩法の深奥だ。
相手の剣ごと肉に食い込ませ、骨を砕く。
少なくとも、肋骨が折れたであろう手応えが伝わり、軽量の相手は弾き飛ばされる。
その反動を利用し、石突を背後へと突き出す。
あのような単純な動きなど、見ずとも手に取るように察知できる。ここに奴はいるはずだ。

「ごふっ」

予想通りの手応え。腰の入らぬ力なき斧が、右肩に当たり音を立てる。
上級重騎士の象徴たる重装甲。わしには重騎士の誇りだが、半端者には死出の鐘の音だ。
相手の位置を予想し反転。いた。
その勢いのまま相手の頭蓋を狙い、叩き潰せと体が動く。
首が捻じ曲がった像が一瞬目に写り、捩れた肉体が地面に叩き伏せられる。


ガイン!!!


衝撃が伝わる。幸い、距離のおかげか貫通されはしなかったようだが。
まだ敵は数名いるはずだ。

「ちっ…」

弓使い。仕留められなかったことを見ると、再び霧の中に姿を隠そうとした。
その時。背後から羽音がした。
不覚、イリア傭兵か!近すぎて間に合わぬではないか。
攻撃を避けるには伏せること以外に可能性は無い。が、重騎士のそれは自殺行為と言っていい。
ここでよもや…。

と、頭上で霧の塊が動いた。
それは音も無く滑空し。一直線に、その弓使いへと突進した。
すぐに伏せるかと思ったが、その弓使いは上体を反転させた。判断ミスだ。
思わず敵の姿を確認してしまったのだ。
ごう。と天馬が過ぎ去った後、弓使いの姿は変わっていた。
新たに槍を体から生やし、地面に跪き、そして天を仰いでいた。
その後を追い、複数の羽音がわしを追い越していく。
前方から剣戟の音。
どうやら残りの伏兵と交戦しているようだ。

しかし今の一撃、見事であった。
強くしなやかな天馬騎士の一撃。
そもそも天馬の力も、人と天馬の合計の重量も、人の力で捻じ伏せられるものではない。
したがって逆らってはならぬ、流れに乗らねばならぬ。
だが、流され、飲み込まれてもならぬのだ。
天馬の力を御しながら、その上で自らの力を振るう。
力が調和していた。
まだ体が十分に出来ておらず不安定さがあるが、これほどの天馬騎士と戦ったことは無いぞ。

やがて音が止みこちらへと天馬騎士の一団が引き返してきた。
まずい。
あのなかなかの手練れを中心に、複数を一人で相手にしてはこのワレスといえども…。
果たして、敵の敵は味方となりうるのか否か。
だが、いかな強敵が相手であろうが、このような理由でワレスが死ぬことは許されぬ。
わしが許さぬ!
我が使命を見せてくれようぞ…。
声も上げず、音も立てず、構える。気を研ぎ澄ます。
だがすでに包囲され、隊長と思われるあの手練れが一騎寄ってくる。久々にギリギリの戦となりそうだ…。

だが、こちらに向かうあの手練れの羽音には聞き覚えがあった。
先ほどの一撃にも、知る者の面影があった。
表に現れぬ強さを、優しさと気弱さで覆い隠した、あの。
次に聞こえるのは、きっとあの遠慮がちな…。

「あ、あの…ワ、ワレスさま…!?」

それは、幾分記憶とは異なった口調だった。

「おお!やはりフロリーナか!」

困惑した表情をこちらに向ける。

「は、はい…。でも、ワレス様どうして…?」

愉快だ。

「お前がここにいるということは?まさか、リンディス様も共におられるのか?」

「は、はい…。私、リンディス様といっしょに…」

愉快ではないか。

「みなまで言うな!ならばこのワレスも共に戦うぞ。」

この地で図らずもリンディス様と合流しようとは。
このワレスの力、まだまだ必要とされておるということか。
どうも、まだまだ簡単には休ませてもらえぬ運命らしい。


思い出す。
風。虫の音。遠吠え。
何日も野山に潜み、山賊どもの動きを探っていた。
一人とて逃さぬよう、傭兵達の配置を考え弱点を探す。
ふと頭の中をよぎるのは、若いままの二人の姿。戻らぬ思い出。
わしは知らない。二人の幸せも、不幸も。刻み込まれた年月を。
わしが知っているのはリンディス様だけだ。二人の生み育てた宝のみを。
同じ時を経、わしと同じように変わったはずの二人をわしは知らぬ。
想い出は美しいものだ。
その姿はリンディス様の父母ではなく、楽しく話す一組の恋人の姿。
そのことが、たまらなく哀しい。
だが、これを復讐にしてはならぬのだ。
飲み込まれてはならぬのだ。

わしは思う。
復讐は何も生み出さない。復讐をしても死んだ者は喜びなどしない。
分かりきったことだ。だが。
だからこそ復讐という行為は成り立つ。
人の為ではない。つまるところ、己のための行為なのだ。
喪った分量に見合うだけのものを、得られぬからこそ相手から奪おうとする。
心に空いた底の見えぬ穴に、手当たりしだい放り込む。
ああ、全てを破壊できたなら、どれほどか気持ちがいいのだろう。
蹂躙し、押し潰し、砕き、捩じり…ああ、言葉が足らぬ。この渦を!
今にもこの身がはじけそうな思いを、一つの彼方へ向けて、燃やしながら抑え込む。
自らの寄る辺を、ただ一点に。

それはどこまで行っても独りよがりでしかない。そう、愚行なのだ。
奪うなどは幻想だ。破壊は出来ても、何も得ることなどできぬ。
成功したとて、何も無い自分に気づくだけだろう。
リンディス様には、そうあっては欲しくない。
わしの愛した両親から受け継いだ、その瞳を。
私の刃は、何も生まぬのだから。

リンディス様は、まだ力というものをよくは分かっておらぬだろう。

善く生きてきた老婆がいる。だが、その前に立った盗賊が、金を奪おうと刃を振り下ろした。
どうなるか?…当然斬られるだろう。それが摂理というものだ。
…そう言ったのはあの男だったか。「不死身の」レナート。
このキアランにそんなことはありえない。そのような輩は僕が許さない。
…わしもまだ子供だった。
口の端をやや曲げ、かわいい坊やだな、と彼は言った。

なぜか彼はわしを気に入り、ちょくちょく話しかけてきたのだった。
戦う時の人間の心理。戦場での技。実際の剣技。相手から見た重騎士の長所と短所。
渡り歩いてきたさまざまな戦場。その戦いの経緯。喜劇や悲劇や。
気安く笑みを浮かべ、話すことが多かったが…眼がやや下を向き表情が翳ることもあった。
傭兵らしい乾いた現実感に、反発を覚えることもあり、感心することもあり。
彼の哀しみとある種の諦観を、未熟ながらも感じていたのだろうか…。
今となっては確かめるすべも無い。
わしが彼に惹かれたように、彼もまたわしに惹かれる所があったのだろう。
自分が失った部分を見たのか、あるいは、若い者への期待感か。
未来があるということの価値は、年齢を重ね分かるようになってくる。
新兵の訓練をするときには、わしもまた探してしまうものだ。
いまだ形を成さぬ塊。でこぼことした表面には割れ目が走り、裡に秘めし輝きを垣間見せる。
鍛えると砂にまいた水のように吸い込まれていき、それを糧とし大地に根を張り…、やがては自ら伸びてゆく…。
期待通りにいくとは限らない。だが、彼らの前には可能性がある。
いまだ内容の決まらぬ年月がある。その内にはきっと、果実になれるものも潜んでいるはずなのだ。

レナートがキアランを去るとき、生涯民達のために戦うと彼に誓った。
騎士見習いが傭兵に誓うというのもおかしいが、内容も内容ではないか。
戦を飯の種とする傭兵に、騎士が民への誓いをするとは!悪い冗談にもほどがある。
が、そのようなことは思い浮かばなかった。騎士として当然守るべき事柄であるとしか思わなかったのだ。
その後月日を重ね、様ざまなことを知り、わしの中でその誓いも変わっていった。
世の中のことを知り、分かったつもりになっていたレナートの言葉が、初めて理解された。
彼の言っていた言葉の一つ一つが、意味を持ち動き始めた。

『いいか?戦場…に限らずだが、思いがけないことが起こるのを当然と思え。』
『その全ては必然であり、また、同時に偶然であるとも言える。なぜなら、お互い関係の無い事象が交錯するからだ。』
『その結果としての思わぬ失敗・思わぬ成功などは、今まで何度か経験しているだろう?』
『よく理屈通りじゃないのが世の中というが…むしろ理屈が複雑すぎるんだな。』
『だから、常に物心両面での覚悟を整えておくこと。そうすれば、少なくとも振り回されることはないだろう。』
『と、誰でも考えられるが、やる奴は少ないんだぜ。人間って奴ぁ、自分の見たいものを見てしまうからな…。』

無理が通れば道理が引っ込むと言うが、通る無理というのは力のある無理ということだ。
今までは力のある無理から、道理を守るために戦ってきた。
それが力あるものの生き方だと。
自分に出来る限りの道理を考え道理を貫き生きてきた。
その力を得るために、自らに無理を通し鍛え上げてきた。
それこそが我が生き方だったのだ。

足音に、物思いから覚める。

「ワレスさま…。リン…あっ、リンディス様がお話を聞きたいそうです。」

「あい分かった。」

「それでは…ご案内…します…。」

リン…と、思わず口を突いて出た。
戦闘が終わり合流した時の話し方を見ても、身振りやお互いの間合いを見ても、今は元の通り何のわだかまりも無い親友同士となっているのだ。
良いことではないか。
友ならば、傭兵の枠を越えてリンディス様のために戦うはずだ。
上手くいけば、イリア傭兵の一部を、リンディス様の味方につけることさえあるかも知れぬ。
フロリーナに特訓をしたのには、そういう含みもあった。

「ふむ。フロリーナよ、随分と腕を上げたようだな。」

「はい…あ、足手まといに…ならないように…。」

随分と変わっていた。
体型や動き方だけではない。
出会うもの出会うもの、フロリーナにそれぞれの敬意を抱いているのが分かる。
性格には相変わらずな面があるにも関わらず、自身の隊の統制は取れている。
会う人間会う人間、フロリーナをなんとなく見るものはいない。信頼されているのだ。
強いものは背中を見れば分かるという。間違いなく修練をたゆまず続けた背中だ。
…初めに出会ったときは、自分の身一つを支える程度のものだった。
今は違う。少なくとも、手の届く所にいる人間の命を背負える背中になっている。
今にもっと多くのものを背負えるようになるだろうか?

「うむ。奢らず初心を忘れるなよ。」

「はい…。」

フロリーナは無理を通すために無理を通したのだ。
リンディス様と共にあり、一番傍で支えとなるために。
『人間って奴ぁ、自分の見たいものを見てしまうからな…。』
そうだ、人間にはそれが出来る。悪いようにも、良いようにも。道理を越えた、より良き無理も考えられるはずだ!

奇妙なものだ。
騎士であるにもかかわらず、人生と戦い方を学んだのは傭兵からであった。
騎士見習いが、傭兵相手に民のために戦うと約束した。
そしてまた、今度はフロリーナから教えられるとは。わしの人生はとことん普通には進まぬようだ。
それも良いではないか。戻る道の無い人生ならば、風景は変化に富んだほうが面白い。

この戦いが終わったら…。
道理にはむかう無理を通してみるのも面白い。
キアランの騎士の身では描けぬ、大きな無理を。明日を夢見る無理を。







7.

――――――――――――――――――――――――



「いつか、私が草原に戻る時は・・・いっしょに来て。
  今みたいに、あなたを雇うことはできないけど・・・
  友達として、あなたの力を借りたいの、フロリーナ。」

それが約束だった。
以前よりも固く結ばれた二人の…。


「…あ、あの…。どうして…こんなところに…?」

その約束を果たすため、一度私はイリアに戻っていた。
リンを助けるために、色々と準備を整えるために戻ってきたのだけれど。
まさか…。
話を聞いたときには、本当に驚いた。

「ん〜、ちょっとな。道に迷うてしもうての。」

どっか、と切り株に腰を下ろすと、その人は答えた。
まさか、この凍土を拓こうとしているワレスさんに出会うとは…まったく思わなかった。

「皆…心配したん…ですよ。戻ってこないから。でも…まさか…はぁ〜。」

まさか、方向音痴がここまでなんて。思っても見なかった。
流石のワレスさんも、体が一回り小さくなったように見えた。
胴体から生えた幹のようだった首も、そこから繋がる肩の線も、胸の厚みも。
肌の下から肉を少しだけ掻き出してしまったかのような…萎んだ、というのが寂しいようで。
お金を稼いでくる軍隊でもなければ、食べ物が十分にあるはずも無いのだし。

「ほら〜フロリーナちゃんも呆れてるじゃないですか。」

キアランの顔がもう一人。お姉ちゃんと結婚することになったセインさんも。

「おお〜!愛しきフィオーラとの愛の巣をかまえようと思えば、まさかまさか
 尊敬すべきキアランのはげ…誇りに捕まろうとは!」

そういえば…。まさか、セインさんが「お兄ちゃん」になるなんて思いもしなかった。
…出会って間もない頃、寝室に忍び込もうとしたことは黙っておこう。

「セ イ ン 何か言ったか?」

「いえいえいえ。行く先々で、ワレス様に仕事振りを見ていただけるとは
 得がたき素晴らしい幸運であると…。」

でも、セインさんの顔に書いてあるのは「何でどこに行っても…」
引退したはずが突然復帰してくるし、ベルンに行っても霧の中から現れるし、まさかここまでなんて誰にも予想がつくはずは無い。
でも、心底嫌と言うことではなさそう。やっぱり迷惑そうではあるけれど。
そろそろ話を切らないと、この調子で続きそう。

「ワレスさん、どうして…戻らなかったんですか?せめて…何らかの…便りでも…。」

それを聞くと、突然気配が緩んだように見えて、ワレスさんが白い歯を見せる。

「もう、わしが居なくても心配などないのだ。キアランの人間は誰よりも良く知っておる。このわしが鍛えたのだからな。」

そして、僅かに目線を下げて。

「それに今となっては、わしが仕えたキアランは、もう無い…。だが良いのだ。ヘクトル様ならば、民が苦しむようなことを自からはなさらぬだろう。それが最も肝要な点なのだ。」

でも…それが戻らない理由には…と言おうとしたけれど、ワレスさんが大きな音を立てて膝を叩いた。
思わず口ごもると、空かさず言葉を繋げる。

「なにより、人間同士の戦にはもう飽きた!だからのう、今まで相手にした何者よりも大きな相手に戦を挑むことにしたのよ。わしよりお前がよく知っておる、このイリアの大地を相手にな。」

と、ワレスさんは視線を外して、ぐるりと首を回した。いつもの、力強く打ち付けるような視線ではなくて、どこか見果てぬ先に何かを見ているかのように。おもわず釣られて、視線の先を見たけれど、そこに見えるのは、先ほどと変わらぬ荒地。この辺りの見慣れた風景。でも、なぜかそこを見るワレスさんの目は、時折生気に満ちて本当に何かを見つけたみたいで。

「で、お前はこれからどうするのだ?」

じっと、こちらを見つめる。

「はい…。サカに行って…リンを…助けます。」

思わず、ただただ素直に言葉が出た。ワレスさんは心なしか微笑んだまま。

「そうか。リンディス様が一番大事か。」

言葉に詰まってしまった。ワレスさんがイリアのために耕地を拓こうとしている時に、イリアの天馬騎士がサカに行こうとしているのだ。これではまるで、逃げているかのような…そんな想いが端をよぎる。

「あ…あの…あの…」

「ぬははは、かまわんかまわん。それが、一番素直なお前の真心よ!。」

はっとワレスさんの顔を見る。愉快そうに笑っていた。
澄んだ硝子玉のような。楽しいことを見つけた子供のような。


「フロリーナ。それを、今の気持ちを忘れるな。それがお前だ…。覚えておけよ、己を見失った者にできることなどたかが知れている。今のお前ならば、そのような浮ついた気持ちを持つことはありえまい…。わしはそう信じているぞ。」

「ワレスさん…。」

「よーうし、話はここまでだ!前もってお前が来ることが分かっておれば良かったのだが…わしも忙しいのでな。」

「(フルフル)いいえ…お会い出来て良かったです…。それでは、ワレスさん、セインさん…ええと…。」

「フロリーナ!思う存分戦ってこい。わしの戦はどうせいつ終わるかわからぬ戦だ、ずっとここで待っておるぞ。」

「あ、リンディス様には俺からもよろしく。」

「はい…。じゃあ…ワレスさん…『お兄ちゃん』……いってきます!」

なぜか、セインさんはにやけたみたいだけれど。

『ピィーーーーーッ』

くるり、と反転すると指笛を吹いて天馬を呼んだ。
手綱を取るとまるで椅子に腰掛けるかのように、慣れた動作で天馬にまたがる。
その頑丈な羽の羽ばたきが風を生み、宙に持ち上がる。重力を体に感じて、ここから人馬一体となることを実感する、私の好きな瞬間。

上空から見ると、見渡す限りの荒地。
暗い茶の絨毯が広がり、所々に緑が覗く、イリアの大地。
ここが変わることなんて、考えたこともなかった。
旋回しながらちっぽけなセインさんに手を振り、手綱を引いて城の方向へと天馬の首を向けた。荷物をとりにいかないと。

『・・・・・・!』

飛び始めた刹那、予感が背筋から脳裏へと奔りぬけた。
それは、うまく言葉に出来ないけれど。大地に芽吹いた生命の緑。思い込みかもしれないけれど、あえて表現するならそういうイメージ。
思わず振り向くと、地上を動く塊があった。小山か丘のような風情を持つそれは、地上を歩く人影。
もう小さくしか見えないのに、その足で大地を支え、肩には宙を担ぐかのようにすら見えた。
ワレスさんはそこにいた。イリアの大地にも押しつぶされることなく、ただそこに。自然に、あるべきものがそこにあるかのように。
ううん。この言い方は失礼かもしれない。ワレスさんは自分でそこにいることを選んだのだから。

その光景を胸にしまいこむと、思いがサカへと飛ぶ。
ゲルの前にリンがいる。
草の海が大海原のように波打っている。
次には遠くに白い点が見えてきた。
それは、空を飛ぶわたしとリン。
天地の間を悠々と、楽しむように、この地を慈しむかのように飛んでいた。

 












 
終わり

 

 

なんだか映画を観ているようでした…!しかも3時間くらい
フロリーナちゃんの成長をとおして、様々な事象をとおして描かれる、ワレスさんの人生…
実際強く育って、きっと1小隊はまかされているであろうフロリーナちゃん。
彼女を強く育てたプレイヤーとしても、強くなっていくその姿に胸がつまりました。
そしてワレスさんがどんな思いでいたのか…痛いほどに共感できて…!
ラスト、フロリーナちゃんのイメージの中の光景に、思わず涙ぐんでしまいました。
タマ様、どうもありがとうございました…!!

カシム募金組合

 

 

 
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